改めて母を想う

友だちのももちんがこんな記事を書いていました。

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家族と生活するって、なんかもう、そういうクソみたいで不合理なことの積み重ねと繰り返しなのだ。
マシな言い方をするならそれは、逃げられな*い丁寧さだ。
 
しかし虐待枠に入れられがちな人たちの幼少期は
そういう積み重ねや繰り返しといった、丁寧な関わりを
親からもたらされてないことが多い。
 
そりゃ習ってないから、自分の子にも適切にできるわけがない。
そして色んな場面で、生きづらさを露呈させても仕方がない。
 
中略
 
ただ、子に対する思いがあって、この先立て直したいと思ってるなら
もっともっとさかのぼった前提のところから、覆していかないといけないので
苦行に次ぐ苦行が予想できる。
 
まーそんなバックグラウンドで
死なず殺さずでやってきはってること自体が
まずは奇跡なんだけどな!
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ここまで読んだ時に驚いたことがありました。
今更!本当に今更だけど母が虐待されて育っていたことに気づきました!
私が幼い頃から母は毎日のように自分の苦労話をしていました。毎日のように話していたから苦痛で苦痛で仕方なくて内容を受け止めて考えたことがなかったのです。
私は私自身の苦痛から逃げることで手一杯だったのです。

今その内容を思うとそれは明らかに虐待です。9人兄妹の末っ子、殴られる、怒鳴られる、衣服や食事を与えて貰えない、朝から晩まで強制労働などなど。家庭は裕福で兄や姉は大切に育てられています。今なら児童相談所行きの案件。


母はお母さんが幼い頃に亡くなり、ももちんがかいたような丁寧な関係を父親や兄姉たちと紡いでこなかったんだなぁ。
そんなことに想いが及びませんでした。
いや、少しは気づいてた。
でも私が自分の正当性(私だって大変なの!とわかって欲しかった)に拘っていたのもあり、また兄や姉たちと集まり、人一倍仲良くしたがっていたのでちゃんと考えたことがありませんでした。


私は私で苦しかったけれど、あれだけ虐待された母が私を育てたのだとしたら母は私のことをどれだけ大切に思い、丁寧ではなかったけれどどれだけ大事に育ててくれたのだろう。
改めて母の偉大さと愛と感謝を感じました。

お母さん、ありがとう。
もう直接言うことはできないけれど想いはきっと届いていると思います。

無垢なわたしへ Purification✩.*˚

これからの人生は私が私へ還る旅。 旅路の途中で感じたことを綴っていきます。 そして時には、旅の途中で出逢えたあなたに持って生まれた癒しの力で幸せのお手伝いをさせて頂けたら幸いです♡

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