「経験の終了」母からのメッセージ

実は母の死を知らせる電話を貰った直後に飛び込んできたメッセージがある。
「経験の終了です。」
なんじゃ、その論理的メッセージは?誰?
疑問に思いつつも拒絶した。

物事は全てスムーズで且つ完璧に近い形で動いた。
母がいない事以外は...。

まず心配したのは苦しんだのではないかと言う事。
自宅なので検死が入った。検視官と主治医、どちらも苦しまずに逝かれてますと言われた。
主治医は国立病院機構の先生、この先生に持病(死に至らない)以外は完全に健康でしたので本当に驚きましたと言われた。

次は通夜、葬儀の手配。
家族葬のデメリットを知っていた私は迷う事なく通常の葬儀を行う事を決めた。
やばい、お金どうしよう、結構かかるな~。😨
そう言えばひと月ほど前に母から電話があった。
「私が死ぬと貯金が止まる。あんたがすぐ使えるように手続きしよう。」
あ、あの時の会話!!手続きはまだしていない。
まさかこの事???


安いよ!と教えて貰った葬祭場を断って直感で場所を決めた。結果は大正解。
数えきれないくらい葬儀に参列している顔が広い叔父が今までで1番心がこもっていてとても良い葬儀だった、ありがとうと言った。
葬祭場の方は掃除の方に至るまで皆真心がこもった対応だった。祭壇などの飾りも母らしく素敵だと大勢の方に褒めて頂いた。
あ、彼との写真は内緒だったのに公開しちゃった。(笑)素敵な写真だったから。

葬儀の日は朝から小雨だった。
しかし式が終わり柩と共に外に出ると青空だった。
青空の下、式場の真上を1羽の鳶が低空飛行で舞っていた。何度も何度も。
母からのメッセージに感じた。
ああ、全ては完璧なのだ。

なんとか終わった。
母の死はまだ信じられない。
子どもたちも生き返りそうだよねと言った。

そして再び聞こえた「経験の終了です。」
今度は受け止めた。
母の決めてきた経験が完了したんだ。
そして私の成長を待っていた。
私が全てを受け入れ許せる日を。
だからこそ「経験の終了。」
おいおい、余暇の楽しみはないのかい(。•́ •̀。)💦

母からのメッセージは言葉ではなく形としてもやってきた。
明らかに母との間で出来た幾つかのトラウマ。
その一つ一つを解消するものが現実の現象としてやってきた。
母の愛を感じその度に溢れる涙。
私は小学生の頃から殆ど泣いた事がない。
ここ暫くで一体何年分泣いたのだろう。

そして別れの形。
別れ際は笑顔で気持ちよくに拘っていた。
それを翻す心残りな別れ方。
こちらもそれでも大丈夫なんだよ、執着を手放しなさいと言われてるような出来事が起こった。
私や子どもたちとは関係性の癒しが必要なかったのだ。逆に夫は最後の日にこれまで以上に親切にして母もそれを喜んでいた。こちらは明らかに関係性の癒しが起こり、しっかり絆を繋いで逝ってる。
それは後に語った夫自身の言葉にも現れていた。


不思議に思うかもしれないけれど、私は自分の死が怖くない。それは体感として死後の世界がどのような場所か確信があるからだ。
私にとって死は生からの解放、喜びでもある。
どんなに地球を楽しんでも私にとっては解放にかわりはない。
そして自分でも死ぬ時はぽっくり逝きたいと思っている。母もぽっくり逝きたいと言っていた。

多くの方に苦しまず、寝込まず、理想的な亡くなり方だね、お徳がないと出来ないんだよと言って頂いた。
ほんとだ、理想的。
予想していなかったから感情がついていけなかっただけ。勝手だよね、自分はぽっくり逝きたいと思ってるのにぽっくり逝かれたらパニクってる。(笑)


家族に会い、彼と映画を楽しみ、更に3日ほど前から多くの人に会い、電話をしていた。
なので葬儀の際驚く程の数の方に話したばかりなのに!元気だったよ!と声をかけられた。
そして式にも多くの方に来て頂いた。
自宅も綺麗にしてくれていて何も困らなかった。
最後までしたい事をきちんとこなして美しく母らしい旅立ちだなと思う。


家族の学びは果てしなく深い。
家族でないと体験出来ない感情と体験を沢山経験した。

身近な人の死に際して死者が遺したメッセージをきちんと受け取れたら癒しが起こり前へ進めると聞いた事がある。
確かに遺されたメッセージに気づく度に涙がでて心が安らぐ。

超えると決めて前へ進む。
これからもまた母のメッセージに気付いては涙するのだろう。
それでもいい。1つずつ超えていこう。
私が自由に生き生きと生きていくのが母の望みでもあるのだから。

さあ、再開だ!



無垢なわたしへ Purification✩.*˚

これからの人生は私が私へ還る旅。 旅路の途中で感じたことを綴っていきます。 そして時には、旅の途中で出逢えたあなたに持って生まれた癒しの力で幸せのお手伝いをさせて頂けたら幸いです♡

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