子育ての在り方
梅が咲き始めました。
埼玉での立て篭り事件を聞いて、
そろそろ子育てのあり方を社会全体で思い直す時なのだと感じます。
主犯の男性は66歳、92歳!のお母様が亡くなったのを起因に「お母さんが死んだらもういいことは何も無い。」と感じられたようです。
92歳。。。人はいつか必ず死にます。
多くは子より先に親が死にます。
もうこれ以上語らなくとも66歳の男性がお母様から精神的自立を果たせなかったことがなんとなく見て取れます。
動物の親は徹底的に生きる知恵を教え続け、子どもが知恵を身につけたらいきなり冷たくなって餌をあげなくなり、自立を迫ります。
人は霊的感情的生き物である故に家系の連鎖や親との経験によるトラウマ、夫婦間の不和などから子どもに依存し、子どもと同化したり、自分の所有物として見てしまい、生きる知恵を与えるのではなくトラウマからの支配をしてしまいます。
それは今の人類の精神性と単一家族による子育てのシステムでは起こっても仕方ないことなのだと感じます。
親のみ、家族のみがその子への責任を負うから親も追い詰められていくし、所有物のように勘違いも起こります。
完璧な人はいないからこそ、多様性の中で利害関係なく多くの人がかかわりながら子どもたちを育てていくと「社会の子ども」「みんなの子ども」と集団で守り育て、子どもも多くの人から知恵を学び取り、自分にとって心地よい在り方を経験から得ていくことができるのではないでしょうか。
私もどんなシステムがよいのか具体的な考えがあるわけではありません。
昔の地域社会で見守るシステムが良かったと言う意見もありますが、私は過去に戻ることがいいことだとは思いません。
誰々の子どもだからという意識がある以上あまり変わらないと感じます。今より良くても裕福な家庭の子だけ優しくされたりはあったはずです。
だからこそ進化しながら新しい在り方を模索したい。。。
今回のような自立不全(というのかな🤔)や虐待、親子関係からくる事件の諸々を耳にする度にそろそろ見直す時期なのだろうなと感じています。
光はどこだろう。
どこかにあるはずです。
珍しく事件に触れてみました。。。
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