想定外のトラウマ、娘の場合 Part2
娘が生まれた当時の様々な体験は、まだまだ私には癒しが必要な出来事のようでなかなか続きが書けませんでした。😢
「イヤーーー!」
私の子守唄を聞いて絶叫して逃げていった2歳半の娘。。。
「どうしたの?」と問いかけでも娘は泣き叫ぶばかり、抱っこしようとしても嫌がって逃げてしまうというパニック状態です。
質問してもただ泣き叫んでいる娘。こんな事は初めて、お兄ちゃんたちも心配そう。😨
時間が経って少し落ち着いてきた娘を抱き寄せ質問しますが理由がわかりません。
(我が家の子どもたちは兄妹で差はあれど皆2歳前にはかなり普通のおしゃべりが出来ていました。)
気になって仕方がない私はお兄ちゃんたちにお願いして先程の状況を再現しました。
すると子守唄を歌った瞬間
「イヤーーー!!」
同じように絶叫して逃げていったのです…。😨
何故だろう?何が理由だろう?
「〇〇ちゃんは可愛い お母さんの宝物
大好き 大好き 大好きよ♪」
この歌詞に問題はないはず。
では何故?!
考えに考えて思いついたのは娘が産まれてから2歳くらいまでの家庭環境と私の心情。
娘が生まれてひと月半は母に泊まり込んで貰いお手伝いをして貰いました。
出産前からなんとなく精神状態が良くなかった夫は母が帰ってすぐ鬱病になりました。
子どもたちは皆小さく私はてんてこ舞い。
手伝ってくれないどころか口を開けば「死にたい」しか言わないどんよりと暗い夫。そばに居るだけで気が狂いそうです。
夜中の授乳中、2歳に成り立ての次男が水を飲みたいと泣いても「うるさい!」と怒鳴るだけの夫。
昼間も暗い顔をして寝てるだけ。昼間なのに子どもたちが楽しく遊んでいると「うるさい!目が覚める!」と怒られます。
私は生後間もない娘を抱えながらも子どもたちが可哀想でなるべく外へ連れ出したり、隣の部屋で息を潜めるように遊んでいました。
夫が働けないのでお金も無くなります。
明日の食費がない...。
当時は母も大変厳しく、関係も酷かったので泣いて頼る事も愚痴を聞いてもらう事も出来ませんでした。
全てを独りで抱え込んだ私は不安と恐怖、鬱の夫の世話、家事に3人の育児で疲労困憊。子どもたちを抱えて8階の我が家から飛び降りようかと真剣に下を見つめるほど追い込まれていたのです。
娘が眠る時に歌っていた子守唄、歌いながらあまりの辛さに涙ぐんでいた私。
そう、娘への子守唄には当時の私の辛い気持ちの全てが込められていたのです。
そこに気づいた私は、娘の拒否反応の激しさに1人での解消は無理だと判断し、再び抱っこ法のカウンセラーゆっこさんを頼ることにしました。
今回はお兄ちゃんたちが1番ヤンチャな時期でもあり、遠いゆっこさんのお宅へ伺うのは無理と判断、自宅へ出張して貰い、娘の癒しを手伝って貰いました。
我が家へ来てくださったゆっこさんは、娘へゆっくりとアプローチをします。2時間くらいかけて下さったでしょうか?
トラウマの深さに1度では解消出来ず、娘の負担も大きいので、アドバイスを貰い、私がタイミングを図りながら自力で続きを行う事になりました。
「大丈夫、必ず解消出来るから!」
ゆっこさんは明るく励ましてくださいました。
それから何度抱っこ法を行ったかしら?
娘のトラウマは半年の月日をかけじっくりと解消していきました。
子守唄を歌っても娘がニコニコするようになった時にはお兄ちゃんたちもそれはそれは喜んでくれました。
「やった~~~✨
もう大丈夫やね、お母さん!」
時を経て幾度か歌って確かめましたが、
娘が絶叫する事はもう二度とありませんでした。😌
これも娘自身が強いショックを受けた体験ではありませんでした。私が辛いのに我慢して押し殺していた感情を娘が受け取っていたのです。
後で知りましたが、親が抱いている押し殺した感情は知らずに子へ渡り、子どもたちはそれを自分の感情と勘違いしたまま、同じもの、同じ体験を苦手と感じたり、辛いと感じたりする事があるのです。
親の感情をコピーしてしまうのですが、自分のものでなかったと気づくとコピーした苦手意識や感情も消えてしまう事が多いようです。
次は私自身が抱いていた胎内記憶?からのトラウマの話し、母の死後に漸く気づいた体験を綴りたいと思います。
追記
公開しちゃったけど、夫はこの話を未だに知らないと思います。💦
時が来たらいつか話してみようかな。
私の人生は大変な事ばかりだったけど、今振り返るとおかげさまでネタにつきません。😅
♯娘 ♯子守唄 ♯トラウマ ♯抱っこ法 ♯ゆっこさん
♯想定外 ♯鬱は家族も地獄 ♯助けを求めよう
♯感情 ♯コピー
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